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跡の伝承 
辿り着いた摂理と理論

一般社団法人 筋整流法協会事務局
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柳生心眼流島津師範が語る柳生心眼流の歴史と筋整流法との出会い

我国の武術は「活殺自在」を目的として、武士の表技として発達してきた。その過程で高度な殺伐な殺法を、独特な柔術の医療法として活用してきた。日本は明治元年(1868)の西洋医学の採用によって、急速な西洋医学吸収時代へとなって行く。明治四年には廃藩置県と共に武士の根幹となる帯刀が禁じられ、明治六年の「全国城郭在廃の処分令」で、武士の居城は崩壊して武士社会も完全に消滅した。文明開化思想は古い伝統は軽視されて、やがて伝統の医療文化は排除の方向へと動き始めていく。
新しい文明開化の思想による時勢の流れは、武家に変わる高官や貴族社会になり、人の体をさわり揉み解す行為は身分の低き者たちの業として蔑まされ、近代国家の移行と共に時代遅れと軽視されていった。明治七年の医制改革では武術に伝わる活法療法は完全に無視されて、多くの道場は壊滅的な崩壊連鎖を招き絶滅状態となり、万を数える流儀が完全に消滅して暗黒時代に成っていった。そうした中でも武士の剣技を捨てて柔術を生かした僅かな人たちによって秘技が保もたれ、永い年月の間、秘技は個人的に伝承されて来たが、其の多くの古老も今は消え去って行った。
武術に伝わる療法は、稽古による骨折脱臼やスジ(筋)損傷に対する先人の知恵と経験の結晶である。活法に伝わった技法を「骨抜き・スジ抜き技」といい、柔術の殺法技の応用である。相手を倒す為に骨の絡みを知り尽くし、其の骨の絡みを脱転させ、絡みの弱点を攻めて折断させる。活法技法は折傷した骨や脱転した骨頭を、元の正しい骨絡に戻す「骨の抜き入れ」とか、「骨の接(継)ぎ」技法である。柔術伝書にはこれらについて「正體・正体・正胎」などと書かれている。
ただし、損傷した骨へ対して骨抜き(ほね継ぎ)をして元の位置に復しても、「スジ抜き」の技法を行わずに固定してしまうと、長期間の固定により乱れたスジ(筋)は硬化して苦しみを残してしまう。楊心古流柔術を修めた私の父は、「骨の絡みを正したならば、スジ(筋)の絡みを正して直しておかないと、後に廃人となる」と強く戒めていた。柔術の古式医療術は、乱れた筋の絡みの筋道を、正しく建て直す事が第一技法とされている。
前回に柔術(やわら)医術で紹介した(本誌2009年3月号)「指の窪み」の秘伝は、長年に渡り口外しないで来た。この技法は基本となる秘伝で、口伝を受けると、 筋肉を探り、脱転した筋の位置を知り、緩めて元の位置に戻す事のできる柔術医術の秘技である。 柔術の医術は半世紀を超えて、大正九年(1920)の医制改革で公認されたが、その実態は西洋医学を基本とした教育法となり、一部の骨絡(接骨技法)や経絡(鍼灸ツボ療法)は命脈を保ったものの多くは失われ、特に古来の柔術技法であった骨継ぎの骨絡や筋絡は取り入れられずに幻となった。
私の父は楊心古流を極め、柔術に伝わった筋絡法のスジ(筋)引き・揉み・弾き技法に、私も幼くして接する機会が多かった。後になって柳生心眼流の相沢富雄恩師に出会い、柳生心眼流のスジ(筋)揉み技法を本格的に学んだ。相沢師匠が死去した後には星国雄師匠に師事し、宿泊して柳生心眼流の揉み療治の多くを学ぶ事ができた。
柔道整復学校に入り、国家資格を得てから多くの人々と出会った。しかし、私が学んだ筋絡法の揉み技術法は、他の人が行わない特殊技法であった事を初めて知って、ビックリしたのは遠い思い出である。長い治療生活において、他院で治療の改善が見られない多くの難病患者に出会って来た。そうした時も、筋絡により一度も臆すること無く向き合い、柳生心眼流柔術に伝わる筋絡技法で短時間で治療効果を上げることができた。
柳生心眼流 こうした秘伝を受け継いだ幸福を感じているが、流儀の「他言しない」という戒めに従って、職業的な技法の為もあり、これまで他人には口外せずに隠し切って使用してきた。しかし私も七十一歳となり、この世に祖先の遺産を残す年齢となって来た。こうした時期に小口先生と思わぬ奇遇な出会いを得て、柔術のスジ抜き技法と小口先生の学ばれたケン引き技法がほぼ同根であろう事を知り、共に胸襟を分け合うことができた。小口先生の学ばれた技法は、私が学んだものとは若干違うものの、基本的な考え方から実際の施術には多くの共通性があり、驚かされた。小口先生は自分が学ばれた技術をさらに理論立てて発展されており、私自身「このような表現の仕方があったか」と改めて思った次第である。
このような新たな刺激も受け、私も来年はさらに隠してきた秘伝技法の一端を公開して、次の世代の若い人に伝えたいと思いだしている

「月刊秘伝」(BABジャパン)2月号より